2006年09月08日

9月6日(水)沖縄タイムスの夕刊見てくれた?

9月6日(水)沖縄タイムスの夕刊見てくれた?





 沖縄タイムスに載っちゃいました。




9月6日水曜日の夕刊“ダーヴァ”の特集記事『ロハスな時間』~わたしのイチバン~。今まで後輩たちが記事を載せていましたが、私にもお鉢が回ってきました。




何しろ情報の最先端にいるアナウンサーと思われがちなので、内容もかなりセンスアップされたものだろうと思いきや、中年のおじさん達の定番中の定番“カラオケ”しかもムード歌謡。コテコテのベタベタです。




ムード歌謡は他の唄と違って、ムーディーで妖しげな演技力も要求されるので、歌うというより演じてるという感じ。なりきることもできれば、一つズラせば“お笑い”にもなります。だから楽しいの。




自称、“沖縄軟弱歌謡愛好会・会長”オカマチックな私の唄、聴いてみる?沖縄のカラオケの歴史を知りたい方は続きをどうぞ!


私が下地則子さんとラジオ版『シャープ金の歌銀の歌』を担当した昭和51年、職場対抗歌合戦でしたが、伴奏はバンドが生でやってました。つまり、少なくともこの頃はカラオケのない時代でした。実はそれよりも前、昭和49年、わたしが大学4年生の時に放送部にいたこともあって文化祭でカラオケレコードをできるだけ揃えて『カラオケ歌合戦』をやりました。曲数が限られていたので、ギタージャガジャガで歌う者もおりました。私としてはかなり先見の明があったと自負しています。そして沖縄で最初のカラオケ番組はSONY提供の『ソニーサウンドセンサーカラオケのど自慢大会』でした。司会はもちろん私柳 卓。ソニーがマイクが接続できて、リバーブがついているステレオ発売し、そのキャンペーンのための番組でした。だから、最初から限定4カ月の番組でした。で当時、このステレオの音源はカラオケレコードでした。まだ8トラのテープも出ていない時代です。カラオケレコードはCBSソニーから出ていたんです。今も琉球放送のレコードライブラリーに残っていますが、今の通信カラオケの音源はほとんどコンピューターの打ち込みですが、カラオケレコードの方は、“クラウンオーケストラ”とか“ビクターオーケストラ”が演奏したもので、今聴いてもさすがにいい音で厚みがあります。私はこの番組で“沖縄で最初のカラオケ番組の司会者”になったのです。
そのころ巷では、ほとんどの人が「カラオケって何だ?」と言っていた時代に、なんと夜の街でただ一軒カラオケを置いていたスナックがあったのです。昔の若松問屋街の奥、橋を渡れば前島というあたりに“ゆりーか”というお店がありました。音源は紛れもなくカラオケレコードでした。経営者は歌手でタレントの今は亡き“沖縄の海坊主”こと“グレート宇野”さん。夜の社交街では“グレート宇野”さんが常に新しいカラオケを導入しながら、“ゆりーか”は唄好きな人が集まるお店としては常にリードしていました。そして、私が27歳から担当した、その後15年続くラジオ生ワイド番組『柳 卓です!土曜の朝は賑やかに』の中で“歌いましょう奥さん”というカラオケコーナーを作り人気を博しました。ただ、このコーナースタート時の難点は限られたカラオケレコードの中で回していましたので、毎週課題曲を決めて5人ぐらいのリスナーに電話口で歌ってもらうのですが、同じ歌を五回も歌うもんですから、リスナーの中には、ウンザリしてしまう人も出るわけです。これもやがて8トラ、やがてCDが出てきて飛躍的に曲数がアップしたのです。そのころ沖縄で初めてのカラオケテレビ番組もスタートします。『カラオケチャンピオンあなたも出番!』。もちろん司会は私柳 卓。この番組ですっかりカラオケは庶民の間に根付くわけです。この中から今プロとして活躍している歌手もでてきます。ミヤギマモルさんや夏川りみちゃんもそうです。『カラオケチャンピオンあなたも出番!』は4年半続きます。その頃、私はカラオケブームはその時がピークだと思っていました。ところが、カラオケはいろいろな形で増幅していきます。まず家庭に入り込み、カラオケボックスができ、それがカラオケルームになり、教育関係者は眉をしかめましたが、やがて家族そろってカラオケルームにという時代になり、家族のコミュニケーションを図る手段として教育的にも良いものと判断されるようになりました。音源もCDからレーザーディスクへ。それまでは中年の方々がカラオケを支えていましたが、若い方々も最新ヒット曲をカラオケで歌うようになり、それが通信カラオケになると爆発します。ナツメロから最新ヒット、アニメ曲、童謡まで、無い曲は無いという時代になりました。そして、最新情報としては、曲がヒットするしないにかかわらずオリジナル曲が発売とほぼ同時にカラオケに入って来ます。そして、通信カラオケの音源が“コンピューターの打ち込み”だったのに、“生演奏”“スタジオ録音”という形で、生演奏の音源がボチボチと入るようになりました。これからは、“ワンタッチ選曲”がますます簡単になり、生演奏の音源がどんどん増え、思ってもみなかったような“遊び方”が登場するかもしれません。カラオケは、スター気分を味わうことで自己解放ができ“癒し”につながります。これからの高齢化社会を考えるうえでカラオケはお年寄りの大きな楽しみのひとつになっていくでしょう。実際、定年退職をした私の義兄はカラオケが大好きで、毎日千円札を握って昼間からお年寄りが集まるカラオケスナックに通ってお年寄り達のアイドルになっているそうです。


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Posted by タクちゃん at 20:52│Comments(5)雑感
この記事へのコメント
 柳さんのブログには初めてコメントします。
 真樹ちゃんや田久保君・真壁ディレクターのブログに読者登録していまして、ブログの内容によってコメントを書いたりしています。
 今朝は耳ぐすぃでメールを紹介していただいて、しかも、黒糖ドーナツ棒のプレゼントまで当選していただいて、ありがとうございました。

 さて、柳さんのカラオケのことですが、ブログで昨日書いたんですね。
 RBCのカラオケ番組なら柳卓にまかしておけという感じかな。
 柳さんの若い時って、カラオケがこんなに発展するなんて思わなかったでしょうね。
 私の家庭は通信カラオケがありまして、音源は発売先のホームページから取り出すんです。
 もしかして、柳さんはまたカラオケ番組の司会をやりたい気持ちはあるんじゃないでしょうか?
Posted by 海邦 純情派 at 2006年09月09日 21:11
ようやくブログが再開され、ずっと「読者登録」してきた甲斐がありました。

さて、柳さんより4年ほど後輩の私が就職した頃は「8トラック」の時代でした。(テープの幅の1/8ずつに曲が入っていて、銀紙で頭出しするということもその時誰かに教えていただきました)

当時、お得意先の支店長クラスの方に飲みに連れていっていただくと、「演歌以外は歌うな!」と言われ「クールファイブならいいですか?」と聞くと「それならいい!」と言われ、しばらくは柳さんと同じムード歌謡ばかり歌っていた時期がありました。

その後付いた私のキャッチフレーズは「ムード歌謡の帝王」でした!?

「沖縄軟弱歌謡愛好会会長vsムード歌謡の帝王」の対決を是非!
Posted by 神戸のマンダイ at 2006年09月11日 12:35
「歌でよ~い卓でドン」でしたっけ。。記憶が曖昧なんですが、目立ちたがり屋なのに上がり症の私。勇気だして出してもらいました。これも記憶があいまいなのですが、小学校の時に学校で先生から禁止されていたラジオ番組「夜間大学」からのファンです。そんな私も40代になりました。。
Posted by yasu at 2007年03月24日 23:40
「歌でよ~い卓でドン」でしたっけ。。記憶が曖昧なんですが、目立ちたがり屋なのに上がり症の私。勇気だして出してもらいました。これも記憶があいまいなのですが、小学校の時に学校で先生から禁止されていたラジオ番組「夜間大学」からのファンです。そんな私も40代になりました。。
Posted by yasu at 2007年03月24日 23:40
「歌でよ~い卓でドン」でしたっけ。。記憶が曖昧なんですが、目立ちたがり屋なのに上がり症の私。勇気だして出してもらいました。これも記憶があいまいなのですが、小学校の時に学校で先生から禁止されていたラジオ番組「夜間大学」からのファンです。そんな私も40代になりました。。
Posted by yasu at 2007年03月24日 23:40
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